豆知識

蕎麦の歴史を紹介します!

蕎麦の歴史についてお話します。少々長くなりますが・・・(^^;


奈良時代前期の女帝だった元正天皇(680〜748)が出した詔の中に、次のような「蕎麦」の記述があります。


「ソバの実。ソバはタデ科の1年生植物。実の殻を除き、実の中に含まれている粉からそばを作る。
種まきから収穫までは2〜3カ月と短く、荒涼とした土地でもよく育つ。」


「今年の夏は雨がなく、田からとれるものがみのらず、よろしく天下の国司をして、
百姓(おおみたから)を勧課し、晩禾(ばんか)、蕎麦及び小麦を植えしめ、たくわえおき、もって救荒に備えしむべし」


 日照り続きで稲の収穫が見込めない中、普通より遅く実る晩禾とよばれる稲や小麦とともに、栽培が推奨されたのが「蕎麦」でした。
ソバは、日照りや冷涼な気候にも強く、また栽培する土地もさほど選ばないため、凶作の時も収穫が見込める救荒作物として位置づけられたのです。
この頃は蕎麦は今のそば切り(麺)ではなく、そば粉を湯でこねて餅状にした「そばがき」や「そばもち」でした。


やがて、そば切り(麺状の現在の蕎麦の形)が誕生し、人々の関心を高めていくのです。
大江戸中にそば屋は広がっていき、飢饉をしのぐ「救荒食としてのそば」から、縁起のよい「ハレの食品としてのそば」への転換していきます。
晦日(月末)に食べる「晦日そば」や、大晦日に食べる「年越しそば」の習慣が庶民に定着したのは江戸時代中期と言われます。
もともと、金銀細工師が、飛び散った金粉・銀粉を、そば粉を使って集めていたことから、縁起をかついで掛け金の回収前にそばを食べるようになったといわれ、そのげんかつぎが晦日や大晦日にそばを食べるという習慣として広まったという説があります。
また、引っ越しの挨拶に「そばに参りました」の意味を込めてそばを贈る習慣も江戸時代に起きたとされます。


 そば切り(麺)となったそばは江戸の人びとに愛され、縁起物になっていったのですね。
蕎麦の歴史を少しでも知った上で食すと、またひと味違ったように感じるのではないでしょうか(^-^)?

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創作蕎麦・蕎麦料理 美味しさをそのまま 真心こめて… 古登婦喜
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